映画『インフェルノ』に登場するフィレンツェのロケ地を一挙紹介!

映画『インフェルノ』に登場するフィレンツェのロケ地を一挙紹介!

映画『インフェルノ』について

まず、映画『インフェルノ』は2016年にトム・ハンクスを主演として公開されたラングドンシリーズの三作目となる映画です。

映画はダン・ブラウンの小説「インフェルノ」を原作として、フィレンツェ、ヴェネチア、イスタンブールの3都市を舞台にストーリーが展開されていきます。

(ちなみに映画と小説で結末はかなり異なる印象でしたが、どちらのバージョンも各媒体の良さが出ていて楽しめました。)

本記事では、その中から舞台の一つであるイタリアのフィレンツェに存在する映画『インフェルノ』のロケ地をご紹介していきます。

舞台となるフィレンツェについて

フィレンツェはイタリアの中部にある都市で、現在その人口は約38万人。

その歴史的な街並みとルネッサンス芸術の文化的価値などから、フィレンツェ歴史地区はユネスコの世界遺産に街全体で登録されています。

そして、物語の鍵となるのが、『神曲』を著したフィレンツェ出身の詩人ダンテ・アリギエーリ

彼を語る上で欠かせないのが、べアトリーチェとフィレンツェ追放です。
こちらは今後、彼を扱った特集の中で詳しく触れることにします。

また、フィレンツェ出身の著名人はダンテの他に、ダ・ヴィンチミケランジェロボッティチェリマキャヴェリなど数多くいました。

こうしたフィレンツェの歴史的背景を知ることで、小説・映画「インフェルノ」をより楽しむことができるかと思います。

映画『インフェルノ』の舞台

ヴェッキオ宮殿

ヴェッキオ宮殿は、ラングドンとシエナが五百人広間でヴァザーリの壁画「マルチャーノの戦い」の中にCerca trovaの文字を見つける場面や、ヴァエンサが天井の絵画を破って落下するシーンで使われました。

五百人広間は1503〜1505年頃、フィレンツェ共和国の依頼で、ダヴィンチミケランジェロが壁画を共作したのですが、二人の作品は未完のまま終わってしまいました。

その後、未完成の広間に不満を持っていたコジモ1世は、ジョルジョ・ヴァザーリに依頼し、1555〜1572年にかけて広間の大幅な改修を行わせました。

こうして、現在残っている壁画は、ほとんどがヴァザーリとその弟子たちのものとなっています。

彼らの作品の一つである、「マルチャーノの戦い」にはCerca trova(探せ、さらば見つからん)の文字が書かれた緑色の軍旗が描かれており、その意味を探るための調査の際、壁画裏の壁に2.5cm程の空洞があることが発見されました。

一説では、ヴァザーリの壁画裏にダヴィンチの絵が隠されているのではないかと言われていますが、まだその存在は明らかにされていません。

ラングドンたちが作中で盗んだダンテのデスマスクもヴェッキオ宮殿に展示されています。

ただし、こちらは本物のデスマスクではなくレプリカとのことです。

ヴェッキオ橋

ヴェッキオ橋は、ピッティ宮殿からヴェッキオ宮殿までを結ぶヴァザーリの回廊の一部を成していて、ラングドンとシエナも映画の中で、この橋の二階部分を渡って、ヴェッキオ宮殿に入りました。

ちなみにヴェッキオはイタリア語で「古い」という意味であり、ヴェッキオ橋はフィレンツェで最も古い橋でもあります。

ボボリ庭園・ピッティ宮殿

ボボリ庭園は、コジモ1世の妃エレオノーラ・ディ・トレドがトリボロに命じて作らせた庭園です。

エレオノーラはボボリ庭園を作る前、ヴェッキオ宮殿内の自らの部屋を庭園に見立て、壁を緑のペンキで塗らせていたと言います。

映画の中でボボリ庭園は、ラングドンとシエナがWHOから逃げ、ヴァザーリの回廊への入り口を見つけるまでの場面に登場しました。

小説ではポセイドンの噴水など、ボボリ庭園に関するより詳細な描写があります。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

サン・ジョバンニ洗礼堂

ラングドンとシエナはこちらの洗礼堂内で、ダンテのデスマスクを発見することになります。

ちなみにダンテはこの洗礼堂で洗礼を受け、『神曲』の地獄篇で「わが美しき聖ジョヴァンニ」と書き記しています。

バディア・フィオレンティーナ教会

※写真左側の尖塔がバディア・フィオレンティーナ教会

映画の冒頭でバートランド・ゾブリストが、ブシャールらに追われ、身を投げることとなった教会がこちらです。